月間CHANGE 「ノーザン・ミート・モンスター」木村友一、沈黙を破る。
「ノーザン・ミート・モンスター」木村友一、沈黙を破る。

凍てつく野田の地で、二人の男が交わした「約束」と「蜂蜜」。
2026年2月某日。千葉県野田市。
利根川と江戸川に挟まれたこの街は、冬の冷たい風が吹き抜けていた。
とある閑静な住宅街に、一軒の洗練されたカフェがある。木材をふんだんに使った温かみのある内装、広々とした空間。そこは、本日の主役である木村友一の母が経営する店だ。
指定された席に着き、コーヒーの湯気が立ち上るのをじっと見つめる男がいた。
ビジネスマン格闘技団体「CHANGE」CEO、菅野和彦である。
これまで数々の経営者や格闘家と対峙してきた菅野だが、今日の表情には微かな緊張の色が見える。それも無理はない。今日会う男・木村友一とは、あの日以来、初めて膝を突き合わせて話すのだから。
あの日――2025年9月15日、「CHANGE 5.0」。
試合直前のドクターストップ。
リングに上がる準備を整え、闘志を極限まで高めていた木村に対し、無情にも「出場停止」の判断を下したのは、他ならぬ菅野自身だった。
「カランコロン」
ドアベルが鳴り、巨漢の男が現れた。172cm、105kg。
分厚い胸板、丸太のような腕。まさに「皇帝戦士」の異名にふさわしい威圧感。しかし、その瞳は穏やかで、どこか懐かしさを湛えていた。
「菅野さん、遠いところわざわざありがとうございます」
木村の野太い声が、店内の空気を振動させる。
CHANGEの歴史を語る上で欠かせない実力者であり、北の大地が生んだ最強のビジネスマンファイター。
止まっていた時計の針が、今、動き出そうとしていた。

第1章:北海道、極寒の地で培われた「骨太な精神」
菅野和彦(以下、菅野): 木村さん、今日は本当にお時間をいただきありがとうございます。それにしても、お母様が経営されているこのカフェ、本当に素敵ですね。木のぬくもりがあって、落ち着きます。
木村友一(以下、木村): ありがとうございます。母が始めてもう6、7年になりますかね。営業は月曜から木曜だけで、金土日は休みという変わったスタイルなんですが(笑)。今日はたまたま休みでゆっくり話せますよ。
菅野: 木村さんといえば「ノーザン・ミート・モンスター」。出身は北海道ですよね。
木村: ええ、北海道の滝川市です。札幌と旭川のちょうど中間くらい。冬になれば雪深くて、何もないところですよ。そこで28歳まで過ごしました。
菅野: 木村さんのその屈強な肉体と精神力は、やはり北海道という環境が育てたんでしょうか。スポーツ歴も多彩ですよね。
木村: 子供の頃から身体を動かすのは好きでしたね。少林寺拳法を9年間、高校時代は柔道を3年間。柔道部では結構しごかれましたよ。あとは冬場になれば当然、雪かきが良いトレーニングになる(笑)。
菅野: お仕事の方も、お父様の後を継がれたと伺いました。
木村: そうです。「有限会社 北邦外壁」。父が平成3年に北海道で創業した会社です。外壁サイディングの専門施工店ですね。私が28歳の時、平成15年に千葉県の野田市に本社を移転しました。それまでは北海道営業所と行き来していたんですが、こっち(関東)に骨を埋める覚悟で出てきました。
菅野: 28歳での決断。大きな転機ですね。
木村: 当時、北海道の建築業界は冬場の仕事がなくて厳しかったんです。「出稼ぎ」みたいな感覚で関東に来て、そのまま居着いちゃった(笑)。野田に来てからは、がむしゃらに働きましたよ。ニチハやケミューといった大手メーカーの認定施工店になるには、施工技術だけじゃなく、決算内容や保険の完備など、経営者としての資質も厳しく問われますから。
菅野: 格闘技と同じですね。技術だけあっても、土台がしっかりしていないと上には行けない。
木村: おっしゃる通りです。現場仕事だからといって、腕っぷしだけじゃダメなんです。二級建築士や施工管理技士の資格も取りました。頭も体もフルに使って、信頼を積み重ねていく。それが私のビジネスの流儀です。
第2章:CHANGEとの出会い、そして戴冠
菅野: そんな仕事漬けの日々を送っていた木村さんが、なぜ40歳を過ぎてから再び格闘技の、しかもCHANGEのリングに立とうと思ったのですか?
木村: 30代は仕事一筋で、運動からは離れていました。でも、40歳になった時、ふと思ったんです。「このまま老いていくのか?」と。いつまで現場で動けるかわからない。だからこそ、死ぬまで動ける体を作っておきたい。そう思って地元のキックボクシングジムに入会しました。
菅野: 最初はフィットネス感覚だった?
木村: いえ、やるからには目標がないとダメな性格なんです(笑)。仕事もそうでしょう? 「忙しいから」と言い訳するのは簡単です。でも、試合という「納期」があれば、人は無理をしてでも仕上げてくる。自分にプレッシャーをかけたかったんです。そんな時に大井俊和さんから「ビジネスマン向けの面白い大会があるぞ」と誘われたのがCHANGEでした。
菅野: 旗揚げ戦での勝利、そしてCHANGE 2.0でのIWBCヘビー級王座戴冠。あの時の木村さんは輝いていました。Yahoo!ニュースにベルトを巻いた写真が載った時、周囲の反応はどうでしたか?

木村: あれは凄かったですね(笑)。社員のみんなも喜んでくれたし、何より北海道の両親が驚いていました。「お前、何やってんだ!」って(笑)。でも、チャンピオンになったインタビュー動画を父に見せたら、マイクを向けられた父が「おめでとう」って。普段は無骨な父があんな風に喜んでくれるとは思いませんでした。親孝行できたかな、と。

菅野: あの光景は、私も主催者として涙が出そうでした。木村さんは「オーバーハンド」という必殺技を持っていますが、あの圧力はどこから来るんですか?
木村: やっぱり「肉」ですかね(笑)。好きな食べ物は肉ですから。あとは、昔憧れたプロレスラーたちの影響もあるかもしれません。ベイダー、ハンセン、ブロディ……。あの頃のスーパーヘビー級の外国人レスラーが大好きで。小細工なしでぶつかり合う、あの迫力を体現したいんです。

第3章:2025年9月15日、運命のドクターストップ
菅野: ……そして、話題をあの日、CHANGE 5.0に戻さなければなりません。
木村: (静かにコーヒーを一口飲む)……はい。
菅野: あの日、木村さんは会場入りして、計量もパスし、ウォーミングアップも終えていました。しかし、メディカルチェックで血圧が異常な数値を叩き出した。上(収縮期血圧)が170を超えていました。
木村: そうですね。自分でも驚きました。普段から少し高めではありましたが、まさかあそこまでとは。試合前の興奮もあったんでしょうが……。
菅野: ドクターからは「出場は危険だ」という強い勧告がありました。私はCEOとして、最終決断を迫られました。木村さんの「やりたい」という気持ちは痛いほど分かっていた。応援団もたくさん来ている。でも、私は「ストップ」をかけました。
木村: ……正直、あの時は悔しかったですよ。「俺はできる」「体調は悪くない」と言い張りたかった。でも、菅野さんの目を見て、飲み込みました。
菅野: 私には、トラウマのような記憶があるんです。2009年、プロレスリング・ノアの三沢光晴さんがリング禍で亡くなられた事故。あれが常に頭の片隅にあります。格闘技は素晴らしいものですが、一歩間違えれば命に関わる。
ビジネスマン格闘技の最大の目的は「明日、元気に仕事に行くこと」です。もし木村さんに万が一のことがあれどうなる? そう考えた時、私には「GO」が出せなかった。たとえ木村さんに恨まれようとも、止めるのが私の責任だと思いました。
木村: 恨んでなんていませんよ。むしろ、感謝しています。
あの後、すぐに病院に行きました。医者にもこっぴどく叱られました。「いつ血管が切れてもおかしくなかった」と。あの時、菅野さんが止めてくれなかったら、私は今、こうしてコーヒーを飲んでいなかったかもしれない。あるいは、会社を畳むことになっていたかもしれない。
菅野: そう言っていただけると、救われます……。本当に、申し訳なさと安堵が入り混じった半年間でした。
木村: 菅野さんの信念、「選手の安全が第一」。それが本物だと分かりました。CHANGEという団体が、単なる喧嘩自慢の集まりではなく、本当にビジネスマンの人生を考えてくれている場所なんだと、身を持って知りましたよ。だからこそ、私はCHANGEが大好きなんです。
第4章:復活へのロードマップ、そして野望
菅野: 今、体調はいかがですか?
木村: 順調です。血圧のコントロールもしっかりしていますし、トレーニングも再開しています。体重も少し絞って、動きのキレを戻していますよ。
菅野: それは朗報です! ということは……?
木村: もちろん、復帰しますよ。このまま終わる「ノーザン・ミート・モンスター」じゃありません。
実は今、野望がありまして。
菅野: 野望?
木村: CHANGEにはキック、ボクシング、そしてMMAのルールがありますよね。私はこれまでの格闘技歴で、少林寺拳法、柔道、MMA、キック、ボクシングと一通り経験してきました。
以前、若杉選手とのボクシングマッチでベルトを巻きましたが、次はキック、そしてMMAでもベルトを狙いたい。「CHANGE 三冠王」、あるいは「全ルール完全制覇」。これをやってのけるのは、私しかいないでしょう。 相撲チャンピオンは検討しますが(笑)
菅野: おお……! それは凄い。ヘビー級でそこまで器用にこなせる選手はいませんよ。
木村: 前回の悔しさをバネに、今はオールラウンダーとしての技術を磨いています。MMAなら膝の心配もない(笑)。寝技の展開になれば、この体重は武器になりますから。
菅野: 木村友一、完全復活ですね。ファンも待っていますよ。あの豪快なオーバーハンドと、ベイダーの入場曲を。
木村: 次の試合では、必ず万全の体調でリングに上がります。そして、今まで以上のパフォーマンスを見せますよ。菅野さん、マッチメイク、期待していますからね。
菅野: 望むところです! 木村さんにふさわしい、最高の舞台を用意させていただきます。
終章:小瓶に詰められた「甘い約束」
インタビューを終え、店を出る際、木村が紙袋から何かを取り出した。
別れ際、木村から手渡された黄金色の小瓶。それはただの土産ではなかった。
「これ、親父がここ野田で育てた日本ミツバチの蜂蜜なんです。自家製ですよ」
厳格な父が手塩にかけた、希少な野田産の純粋蜂蜜。その温かく濃厚な甘さは菅野の心に深く染み渡った。
菅野はそれを受け取り、胸が熱くなるのを感じた。
言葉にしなくても分かる。これは「これからもよろしく」というメッセージだ。
格闘技興行における中止の判断は、主催者にとって最も重く、辛い決断だ。
しかし、その決断が間違いではなかったことを、今日の木村の笑顔と、この蜂蜜が教えてくれた。
「木村さん、ありがとうございます。これ、試合前のエネルギー補給に使わせていただきます」
「ははは、ぜひそうしてください。私も次戦に向けて、たっぷり栄養摂りますから」
ガッチリと交わした握手。木村の手は、やはり分厚く、温かかった。
建設会社の社長として、数多の現場を収めてきた責任感。
格闘家として、己の肉体と向き合い続けるストイックさ。
そして、他者を許し、受け入れる度量。
木村友一という男は、リングの上だけでなく、人生というフィールドにおいても「チャンピオン」なのだ。
2026年5月17日、「CHANGE 6.0」。
そこに「皇帝戦士」の名前があることを、私は信じて疑わない。
野田の風はまだ冷たかったが、菅野の心には、春の日差しのような温かい光が差していた。皇帝戦士、木村友一選手の復帰を震えて待ちたい。
(取材・文:月刊CHANGE編集部)
【プロフィール】
木村 友一(きむら・ゆういち)
1975年6月15日生まれ、北海道滝川市出身。有限会社北邦外壁 代表取締役。
172cm、105kgの巨漢ファイター。幼少期より少林寺拳法、柔道に親しみ、現在はキックボクシング、MMA、ボクシングとマルチにこなす。CHANGE旗揚げ戦より参戦し、初代世界IWBCヘビー級王者(ボクシング)に輝く。外壁サイディングのスペシャリストとして、「一級シーリング技能士」「二級建築士」など多数の資格を保有。仕事も格闘技も「段取り八分」を信条とする。

菅野 和彦(かんの・かずひこ)
ビジネスマン格闘技団体CHANGE CEO。
「ビジネスは格闘技だ」をスローガンに、日本のビジネスマンに熱狂と活力を届けるべく奔走するプロモーター。選手の安全管理を最優先事項とし、CHANGE 5.0では木村選手に対し苦渋のドクターストップを決断。その誠実な運営姿勢が、多くの経営者ファイターからの信頼を集めている。
