週刊CHANGE 【総力特集】CHANGE 代表・菅野和彦に迫る!
週刊 CHANGE 2026年3月13日号
【総力特集】ビジネスマン格闘技団体CHANGE 代表・菅野和彦に迫る!
前編:王道、馬場イズム。雪国の少年が「格闘技ビジネス」に目覚めるまで
今、日本で最も勢いに乗るアマチュア格闘技団体がある。ビジネスマン格闘技団体『CHANGE』だ。
2023年7月の旗揚げ戦以来、開催する全大会が札止め・満員御礼。その熱狂は瞬く間に広がり、Yahoo!ニュースのトップを3度も飾るという異例の快挙を成し遂げた。エントリーシートには、全国から名だたる企業の経営者、役職者、そして第一線で闘うビジネスマンたちの名前が殺到している。
格闘技界の重鎮・前田日明氏をして「経営者と言う世の中の修羅場をくぐった選手が集まっている。ひょっとすると、CHANGEからRIZIN、ブレイキングダウンへ出場する選手が出るかもしれない」と言わしめるほどの競技レベルの高さ。

しかし、CHANGEの魅力はそれだけではない。大会を通じて選手、経営者、スポンサーが強固に繋がる「ビジネスマッチング」や「交流食事会」を積極的に展開し、単なるスポーツイベントの枠を超えた【大人のための巨大なビジネスプラットフォーム】へと進化を遂げているのだ。

なぜ、名もなきアマチュア大会がここまで巨大なムーブメントを起こせたのか?
その答えは、CHANGEの創業者であり代表を務める一人の男の「哲学」にある。
今回の『週刊CHANGE』は、編集長である私、吉井隆志がインタビュアーとなり、代表・菅野和彦の知られざる素顔と、その原点に深く迫る。
■ 絶叫解説の裏にある「極上のエンターテインメント」へのこだわり
吉井隆志 編集長(以下、吉井): 菅野さん、日々の激務、本当にお疲れ様です!吉井です。ついに週刊CHANGEで菅野代表の特集を組む日が来ました。本日はよろしくお願いします!
菅野和彦 代表(以下、菅野): お疲れ様です。まさか自分がインタビューされる側になるとは思いませんでしたが(笑)、CHANGEの理念を深く知っていただく良い機会だと思っています。よろしくお願いします。
吉井: 早速ですが、CHANGEの会場といえば、なんと言っても菅野さんのあの「絶叫マイク」です(笑)。実況席から響き渡る「すげー!!」「ジャストミーーーート!!」という叫び声は、今や大会の名物になっていますよね。
菅野: あはは、よく「熱すぎる実況ですね」と言われるんですが、実はあれ、実況ではなく「解説」のつもりなんです(笑)。ただ叫んでいるだけのように聞こえるかもしれませんが、私の中では明確で深い意味があります。
吉井: と言いますと?
菅野: 格闘技の本質は「エンターテインメント」なんです。リングの上で選手が命懸けで闘い、来場してくれたお客様がそれに心を揺さぶられ、感動して帰路につく。私たちが目指しているのはそこです。

試合を盛り上げるのは、決して選手だけの責任ではありません。運営や主催者も一緒に空間を創り上げる義務がある。だからこそ、私自身がマイクを握り、場内に「すげー!」と響かせることで、恐怖と闘う選手への最大級の応援と、会場全体の熱気をコントロールしたいという強い気持ちが詰まっているんです。
吉井: なるほど!あの熱狂空間は、菅野さんの意図的な演出も大きな役割を果たしているわけですね。ちなみに、あの「ジャストミート!」は……?
菅野: もちろん、日本テレビの福澤朗アナウンサーへのリスペクトです(笑)。私の格闘技観のルーツは、あの時代のプロレス中継にありますから。

■ 第1章:秋田の少年と「王道プロレス」の出会い
吉井: そのルーツについて、今日はじっくりと掘り下げさせてください。菅野さんは、雪国・秋田県のご出身ですよね。
菅野: ええ。秋田県の由利本荘市というところで生まれ育ちました。海まで4キロほど、山も近くて非常に自然豊かな場所です。実家は商店街にあって、祖父が和菓子屋を営んでいました。冬になれば雪が深く降り積もる、そんな厳しくも温かい環境でしたね。

吉井: 幼少期はどんな少年だったのでしょうか?
菅野: 実は、私が4歳の頃に両親が離婚しましてね。色々と複雑な環境ではありましたが、祖父の和菓子屋の匂いや、地元の商店街の人たちの温かさに囲まれて育ちました。
野球少年でしたね。

そんな私の人生を変えたのが、10歳の時にテレビで見た「全日本プロレス」です。
吉井: 10歳でプロレスに熱狂!誰の試合だったか覚えていますか?
菅野: 鮮明に覚えていますよ。三沢光晴さんと川田敏明さんの「三冠ヘビー級選手権試合」です。もう、雷に打たれたような衝撃でした。大男たちが意地と意地をぶつけ合い、何度倒れても立ち上がる。その死闘に心の底から感動したんです。それ以来、毎週日曜日の夜12時に放送される全日本プロレス中継を必ず見て、ビデオに録画して何度も見返すという生活が始まりました。当時のプロレスは世界最高峰のレベルでありました。
吉井: まさにプロレス少年ですね。特に三沢光晴さんの大ファンだったと伺っています。
菅野: はい。2代目タイガーマスクであった三沢さんの受け身の美しさ、絶対に諦めない精神力……すべてがヒーローでした。そして、その三沢さんたちが躍動する全日本プロレスという団体を創り上げた「ジャイアント馬場さん」の存在。これが、現在のCHANGEの経営哲学に直結しているんです。
吉井: と言いますと、「馬場イズム」ですか?

菅野: その通りです。当時の格闘技界やプロレス界というのは、どうしても「どんぶり勘定」であったり、裏社会との繋がりが噂されたりと、アンダーグラウンドなイメージがつきまとっていました。しかし、馬場さんの全日本プロレスだけは違った。「ファンを絶対に裏切らない」という信念のもと、年間200以上の興行、常に会場は満員、16500人収容の武道館大会も2か月に1度は行い満員御礼。
格闘技界では極めて珍しい「堅実経営」を貫いていたんです。
吉井: 確かに、馬場さんの全日本プロレスは「明るく、楽しく、激しい」王道プロレスとして、社会的な信用も高かったですね。
菅野: 馬場さんのバックボーンはプロ野球(元・読売ジャイアンツ)ですよね。スポーツマンとしての規律を持ち、非常に常識人でいらした。奇しくも、私も根っからの野球少年であり、雪国(馬場さんは新潟出身)の生まれです。勝手ながら強烈なシンパシーを感じていました。
「格闘技というジャンルであっても、経営者がまともな常識を持ち、クリーンで堅実な運営をすれば、社会から尊敬される団体を創れる」。この馬場イズムこそが、今のCHANGEが「日本一クリーンで安全なビジネスマン格闘技」を目指す絶対的な土台になっています。
■ 第2章:過酷を極めた高校野球の寮生活。夜の屋上で見上げた故郷
吉井: 菅野さんご自身も、小学校から野球に没頭されていたんですよね。

菅野: はい。もう野球漬けの毎日でしたね。中学校では幸運なことに全国大会に出場することができまして、その実績もあって、高校は県外の名門校へ進学することになりました。
吉井: 名門校での寮生活!それは相当厳しかったのではないですか?
菅野: 思い出すだけでもゾッとしますよ(笑)。高校1年生で親元を離れたんですが、本当につらかった。夜中にこっそり寮の屋上に上がって、遠くに見える地元の方向を眺めながら「いつまでこの生活が続くんだろう……」って、本気で寂しさに耐えていました(笑)。
吉井: 華やかな名門校の裏側ですね。具体的にどんなスケジュールだったんですか?
菅野: もう軍隊です。朝は6時半に強制起床。そこから全員で体操をして、寮の隅々まで掃除。急いで朝食をかきこんだら、学校へ行く前にグラウンドの整備を1時間。9時から16時まではなんとか学校の授業を受けますが、終わった瞬間に猛ダッシュで着替えて、夜の20時頃まで泥だらけになって過酷な練習です。
練習が終わったら夜飯を詰め込み、風呂に入って、22時には強制消灯。自由な時間なんて1秒もありません(笑)。プライベートゼロ、逃げ場ゼロ。先輩の言うことは絶対。心身ともに極限状態でしたね。
吉井: 凄まじいですね……。でも、その過酷な環境を生き抜いた経験が、経営者としてのタフさや、格闘技のリングに上がるビジネスマンの「恐怖や痛み」に共感できる力に繋がっている気がします。
菅野: 間違いなくそうですね。あの理不尽で過酷な3年間を耐え抜いたからこそ、「あれに比べれば大抵のことは乗り越えられる」というメンタルが形成されました。CHANGEのリングで殴り合う選手たちの息遣いを見ていると、当時の泥だらけだった自分と重なる瞬間があるんです。
■ 第3章:野球連盟。6000人を束ねた「スポーツビジネス」への覚醒
吉井: 高校卒業後、大学へ進学されます。学部は経済学部とのことですが、ここでも野球を?
菅野: ええ。ただ、大学時代に一番熱中したのは、プレイヤー兼「野球連盟の委員長」としての活動でした。
吉井: 委員長ですか!組織のトップですね。
菅野: はい。自分も選手としてプレーしながら、全国規模の野球大会の主催や運営の陣頭指揮を執るようになりました。最初は「就職活動の時に履歴書に書けるし、ウケが良いだろうな」くらいの軽い気持ちだったんです(笑)。でも、やってみたらこれが驚くほど面白くて、自分でも「あ、俺これ得意かもしれない」と気づいたんです。
吉井: 規模感としてはどれくらいだったんですか?
菅野: 全国で約200大学が加盟していて、選手の総数は6000名規模です。その巨大な組織を動かし、大会を企画し、協賛を集め、球場を手配する。この「ゼロから熱狂の舞台を創り上げる」という裏方の仕事が新鮮でたまらなかった。結果的に、社会人になってからも10年近く連盟の理事を務めさせていただき、国際大会の運営や、台湾遠征の同行なども経験させてもらいました。
吉井: 凄い実績です!現在のCHANGEのプロモーターとしての原点は、まさにここにあったんですね。
菅野: そうなんです。しかし、長く理事をやっているうちに、スポーツ団体が抱える「残酷な現実」に直面することになります。
吉井: 残酷な現実、ですか?
菅野: ええ。どんなに情熱を持って素晴らしい大会を運営しても、結局は「ボランティア団体の域」を出ないんです。お金が稼げない。
有能で熱意のあるスタッフや理事がたくさんいたのに、彼らは自分の生活を守るために、本業の仕事が忙しくなると泣く泣く連盟を辞めていく。その背中を何度も見送りました。
「どれだけ素晴らしいスポーツや理念があっても、しっかりとビジネス化して『収益化』できなければ、組織は絶対に継続できないし、関わる人を幸せにすることはできない」。
その悔しさが、私の骨の髄まで染み込みました。スポーツとビジネスを融合させなければ、未来はないと。
吉井: ……なるほど。今のCHANGEが「ビジネスマン格闘技」と銘打ち、スポンサーを集め、ビジネスマッチングを行い、しっかりと経済圏を作ろうとしている理由が、はっきりと繋がりました。
菅野: そうです。CHANGEはただの仲良しクラブやボランティア団体ではありません。選手が最高の舞台で輝き、スポンサー企業が確かなメリット(広告対効果や人脈)を享受し、運営陣がプロとして適正な利益を得て、さらに大会の安全面や演出に再投資する。この「全員が勝つエコシステム」を創り上げることこそが、私の使命なんです。
後編へ続く
